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マリア・シャラポワ:Maria Sharapova

マリア・シャラポワ  似顔絵 ウィンブルドン

マリア・シャラポワ (Maria Sharapova)は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手である。


■国籍 ロシア

■出身国/居住国 ロシア/アメリカ

■生年月日 1987年4月19日

■性別 女

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち)

■身長 188 cm

■体重 59 kg

■プロ転向日 2001年


ニックネームは「ロシアの妖精」。

左利きだったというが、矯正で両方使える。

バックハンド・ストロークは両手打ち。

ロシア語人名の日本語表記に即したより正確な読みは「マリーヤ・ユーリイヴナ・シャラーパヴァ」になるが、彼女の名前の転写は世界の各言語でも様々である。

4歳の時からテニスを始める。

6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

ただし、ナブラチロワはこの時のことを後日談で「全然記憶にない」と話している。

ずば抜けた才能と言うよりも、センスを磨き練習で培った実力というべきなのであろう。

渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習開始。

現在はフロリダ州ブラーデントンに在住している。


マリア・シャラポワは2003年のウィンブルドン3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチを破り、一躍時の人になった。

この大会では続く4回戦で同じロシアの選手、スベトラナ・クズネツォワに敗れた。

2004年には全仏オープンで準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで初優勝を飾り、1997年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。

女子テニスで18歳未満の選手が4大大会を制したのは、1999年全米オープンのセリーナ・ウィリアムズ(17歳11ヶ月)以来であった。

2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ・パン・パシフィック・テニスにおいてリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。

しかし、ウィンブルドンでは準決勝でヴィーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。
同年8月22日、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となる。

また、大会のグレードがTier III(ティア3)であるAIGジャパン・オープンについては、2005年度以降WTAの世界ランキングの規定により出場する権利がなくなった。

2006年2月4日、東レ・パン・パシフィック・テニス準決勝で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れ、大会連覇を逃した。(その後ヒンギスには3月上旬の「インディアンウェルズ・マスターズ」で勝った。)

2007年の大会では、全豪オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズに完敗した試合の直後でもあり、脚の不調もあってサービスが乱れた。

2月3日の準決勝でセルビアのアナ・イワノビッチと対戦した時、第1セットを 1-6 で落とした後メディカル・タイムアウトを取り、第2セットの第1ゲーム終了後に途中棄権を申し出た。


マリア・シャラポワは、テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高い。

2004年の東レ・パン・パシフィック・テニスとウィンブルドン3回戦で実現したダニエラ・ハンチュコワとの“美少女対決”はどこでも抜群の観客動員力がある。

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